私のストーリー

(先週、大切な友人のTomokoに訳してもらい、私が通っている教会で、日曜日に私の証をメッセージしました。

興味のある方は、ぜひ読んで下さい)。

今日皆さんとともに、私の証の一部を分かち合います。時間が限られていますので、短く話しますが、質問やお話したいことがあれば、礼拝後、気軽に尋ねてください。

 

おそらく、私が家や車やピアノを手放して日本へ行くと言ったときに、まず皆さんが聞きたいのは、なぜ日本?なぜ札幌に行くの?ということではないでしょうか。

この質問の答えを話すためには、私が子供のころまで話をさかのぼらなければいけません。なぜなら、そのときから、私のすべてをもってイエス様を愛する歩みが始まったからです。

 

私が4歳か5歳のころ、父は大きな教会の管理人をしていましたので、私たちは教会の建物のなかにあるアパートに住んでいました。ですから、小さい頃から、誰もいない教会の大きなグランドピアノに向かい、足をぶらぶらさせながら、イエス様に向かって自分で作った賛美や祈りを歌っていました。これが私のもっとも昔の記憶です。

 

私は、本当に単純な信仰をもち、神様を信頼しながら成長しました。

 

ときに、私たちの人生には、神様がはっきりと私たちのあゆみを決定づける出来事が起こります。私にとってそれは8歳のころ、聖霊様が私を強く動かし始めたときでした。

 

私は聖書を読みたいという強烈は渇きを常に持ち始めました。ただただ聖書を読みたくなったのです。

 

8歳になってもまだ、私は単純な信仰で聖書に書かれていることを信じていたからです。

 

聖霊と初代教会時代の出来事について読んだとき、私も同じように聖霊を受けたいと祈り始めました。そして、町じゅうで見つけられる限りのすべての祈り会に行きました。

それがどんなものであったとしても、祈り会があればどこへでも行きました。

 

ある祈り会で、私は、はっきりと聖霊によって証印を押されました。異言で話し出し、おそらく4時間ぐらい、神さまの臨在に圧倒されていました。

 

この経験はすっかり私を変えました。人々に対しても深い愛をおぼえ、彼らにもイエス様のことを知ってほしいと感じるようになりました。

 

毎日、私は学校へギターを持っていき、学校の運動場で賛美を歌い、メッセージを語りました。その後、数年のうちに、友達の多くがクリスチャンになりました。

 

このころから、まず、祈り、賛美すること。次に、彼らがいる場所で彼らを愛し、イエス様を示すことに強い情熱を持ちました。

 

10代のころ、神様は私を個人的により深い関係へと導くと同時に、傷ついた人々の友になるように、私を召し出しました。神様との時間と祈りは、私の生活の全てに満ち溢れました。

 

私は、これらの2つのことが生活の中心にあるべきだと心から信じています。

それは、完全にイエス様を深く愛し、神様が全てを与えたその愛に出会うならば、そのことで全てが変化し、この事実が全てを変え愛が流れ、私たちは他の人を愛するようになるからです。

 

イエス様が私たちに近づくためにすべてを成し遂げてくださったことに気付くとき、私たちもまた、周りの人たちが神様に近づけるように、あらゆることをしたいと願うのです。

 

高校卒業後、私はイギリスの教会で、ユースのためにフルタイムで働き、学校でも学ぶようになりました。

 

伝道師としての訓練と、教育学の学位をとるための勉強を同時にしました。

 

教会で働いて5年が経つと、神様は、教会のイベントでは自然に出会うことができないであろう若い人たちのために働くように、私を促しました。

 

教会の扉から遠く離れている若者たちです。

 

大学を卒業すると、神様は私に対して、犯罪を犯した若者や若い親、児童養護施設の子ども、売春をする女の子、精神を病んだ若者などに焦点を置いたNPOのマネージャーとして働く道を開いてくださいました。

 

日本に来るまで5年半、この仕事を続けました。私は大きなチームとともに、スコットランドでプロジェクトを運営し、1年間で約400人の若者をサポートしました。

 

壊れてしまった、捨てられてしまったこれらこの若者たちを、私は、自分の全てをもって愛しています。

 

さて、なぜ私が日本に来ることになったのか、という元の質問に戻りましょう。

 

2012年のはじめ、私はロンドンで開催されたアジア宣教の大会に招かれました。この時点で、私はまだアジアに行ったことがありませんでしたので、なぜ自分がここで話すよう呼ばれたのか、よく分かりませんでした。

 

何かの間違いではないかとも思いましたが、私は何年もの間、神様が日本のために祈るよう示していると感じていたので、飛行機でロンドンへ向かいました。

 

大会のなかでデボーションと祈りについて教えているとき、神様が私に個人的に、日本、日本、日本、と日本について語りかけていると感じました。

 

そのとき、私は、神様に、「わかりました、もっと祈りましょう」といった反応をしたのですが、その後、日本語を学び、日本にいる傷ついた若者たちのために何ができるか知りたいという願いが揺るぎないものになりました。

 

2012年の夏、私は、NPOの働きと並行して、聖書大学の修士課程で学びはじめました。大学院の講義を通じて、私が学んだことを生かして、日本の傷ついた若者のために働くという使命がますます強くなりました。

 

話を短くまとめると・・・私は昨年の夏、2か月間の研究調査のために初めて日本に来ました。そして、東京・大阪・奈良・神戸・浜松へ14のプロジェクトを観にいきました。これらはクリスチャン・ノンクリスチャンの両方がありましたが、いずれも、傷ついた若者のための働きです。

 

日本にいる間に、私はすっかりこの国のとりこになってしまいました。そして、神様がこの国でなさっている御業をみました。さらに、私が出会った多くの若者のために、私の心は砕かれました。

 

彼らとは、児童養護施設にいる若者、売春にかかわっている若者、ひきこもりの若者、そして、彼らを自由にできるのはイエス様だけだということを知っていて、神に叫んでいる若者です。

 

なかでも、祈っているなかで起こったある経験が、私を以前とは違うものに変えました。

 

私は東京の歓楽街で祈っていると、次から次へ女の子たちが私の横を通り過ぎていったのです。私は泣きながら祈りました。

彼女たちの一人ひとりのところへ走り寄って、「あなたにどれだけの価値があるか、わからないの?イエス様はあなたのために死んでくださったことを知らないの?イエス様があなたを自由にしてくださるということを知らないの?」と言いたかったです。

 

しかし、私が話せる言葉はないに等しかったです。そうであったとしても、私が若く、たったひとりの人であるとしても、私は日本に来よう、そして、日本語を学び、ここに人生のすべてをささげようと決めました。

 

それで、イギリスに戻って職場に辞表を提出し、家を売りました。

こうして、様々なびっくりするような出来事を経て、今に至っています。

 

祈りのなかで神様はまだ行ったことも聞いたこともない町にある語学学校の名前を示してくださいました。それが、今私が学び・働いている場所です。

 

私は、今の職場で、あと数年は若い人たちをお世話するプロジェクトの働きをする予定です。このことのためにお祈りください。長期で札幌にいることになりそうです。

 

私はイエス様だけが傷ついた若い人々をいやすことができると知っています。

 

傷ついた人々、しかし、私はイエス様は彼らをいやすことができます。なぜなら、イエス様は私をもいやしてくださったからです。

 

正直にお話します。

 

それは、神様が100パーセントの真実と善意と素晴らしさをもってなされた美しいことについてです。

 

正直に真実をお話したいと思いますが、これは痛みと暗闇とうつを伴い、文字通り毎日を生きることに葛藤する日々が何年も続いた話です。

 

「神様、私は理解できないし、あなたがどこにいるのかも見えません、でもあなたにすがります、なぜならあなたこそ、私の全てだからです」と何年も叫ぶ日々が続きました。

 

私は5年間結婚していました。

 

10代のころ、私は神様の御心と感じ、デートをしたことがありませんでした。そして、この結婚が神の御心であり、永遠に安全な場所であると信仰と確信をもって結婚しました。

 

しかし、すぐに、結婚は恐れと虐待の場へと変わってしまいました。

 

私はポルノ中毒が男性にもたらす影響をじかに経験しました。

 

毎日おどされ、怒鳴りつけられ、自分が価値のないものと感じさせられ、良いところが全くないといわれ続けました。

 

また、本来であれば自分を一番守ってくれるべき存在からの性的な虐待も経験しました。

 

「神様!なぜ??」と格闘し、「なぜ助けてくださらないのですか?」と天に向かって叫びました。どうやって皆を失望させずに、この状況から逃げる方法などないと思いました。そして、最悪の状況のなかで、自殺も真剣に考えました。

 

あまりのストレスに、寝ることも食べることもできなくなり、体重は38キロまで落ち、髪も抜け始めました。こうしたなかでも、NPOの働きをし、「何?神様?どこ?」と求めていました。

 

神様は私のすべてをご存知ですから、ただ神様にすがるしかありませんでした。

 

毎日、ピアノの前に座って、自分の心で信じられるようになるまで、聖書の言葉を歌い続けました。時には、自分のなかでその御言葉が真実なものとなるまで、何時間も泣きながら宣言していました。私は神様のもとへ走り寄り、離れないでいることを選ばなければなりませんでした。

 

こうしたなかで、私は、神様がいつも真実であり、たとえ自分の思う方法ではなかったとしても、神様の助けが確かにあるということを学びました。

 

やがて、神様はすばらしい人々を用いて、長い時間をかけて、文字通り、私を助けだしてくださいました。

 

そうはいっても、私は、恥や、離婚によって自分は失敗して皆を失望させたのではないかという気持ち、ゴシップ、ぐちゃぐちゃになった心などに向き合わなければなりませんでした。

 

私はクリスチャンのカウンセリングを受けました。

 

実は、今日ここに来たベッカさんは、私を最も支え続けてくれた友人のひとりです。私のところへ引っ越してきて、ただ私を愛してくれました。

 

また、私の先生(メンター)は、神学的に私を正しく導き、父なる神は私が恥のなかで生きることを決して望んでおられないということを理解できるよう助けてくれました。

 

めちゃめちゃな、自分が壊れてしまった状況のなかで、私は神様が癒し主だということを知りました。本当にそのことがわかりました。全く新しい方法で恵みを理解するようになったのです!私は、混沌とした状況の世界のなかでも、神様が見せてくださったこの新しい赦しに生きるようになりました。

 

そして、私が最も恥ずかしいと思う部分は、神様が栄光をもたらすために用いることができる部分だということを学びました。

 

私は、今、全く違う場所に立って賛美しています。なぜなら、私は救い主としての神様を知っているからです。私はますます神様を愛しています。なぜなら、神様は空しい穴のなかから私の魂を贖いだしてくださったからです。

私はこれまで望んでいた以上の喜びと希望をますます抱いています。

言葉では表現しきれないほど、神様を愛しています。

 

 

 

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